大学のグローバル化 (「金融ジャーナル」2013年10月号より許可を得て若干加筆し転載)
「グローバル人材」の必要性が喧伝されている。とりわけ大学における留学生の派遣や受け入れ、外国人教員の増員は、現政権の成長戦略の一部とさえ見なされているようだ。本稿では、英国の大学における多国籍化を現場の教員の視点から眺めながら、日本での昨今の大学改革論議や、そこで過度に理想化された「欧米の大学」像に欠けがちな論点を指摘したい。それは、端的に言って「カネの流れ」である。
私が英国の大学で教え始めて10年が経つ。この間、留学生・外国人教員の比率で北米に遅れていた英国の大学は急速に多国籍化し、それは同時に大学の事業が著しく「ビジネス化」する過程でもあった。
英国の大学における外国人教員の増加は、「研究水準を上げる」という目的に対する手段にすぎない。従来、英国の大学では日本の大学同様、組織・給与体系が硬直的で、研究業績に大きな差が出ても、年収や授業負担は殆ど変わらなかった。特に設立から200年を超えるような古い大学では、人事も含め英国人同士の「あうんの呼吸」で運営されていた側面が大きい。
それに対し、2000年代に入ってから英国政府は研究補助金を、各学部の所属教員対する明確な研究業績評価に応じて傾斜配分するようになった。つまり優秀な研究者を擁することが、大学・学部にとってある程度「儲かる」ようしたのだ。
こうした政策に対応して、研究に重点を置く大学では給与体系や授業・事務負担を柔軟にすることで研究者の引き抜きを容易にした。その結果、英国人研究者のみならず、英国国外、特にヨーロッパ大陸の研究者にとっても、英国の大学が相対的に魅力的な職場になったのである。この背景にはヨーロッパの他国の大学の方が、硬直的な組織の縛りが多かったという事情もある。
こうして優秀な研究者の引き抜き合いが彼らの国籍を問わず活発に行われるようになり、外国人教員が増え、またトップクラスの研究者の待遇は大幅に向上した。例えば私の職場でも、同年齢の教員で年収に2倍以上の差が付く。
ちなみに英国の大学では、もし全く同じ業績の英国人応募者と外国人応募者がいれば、ほぼ間違いなく前者を採用するだろう。事実、大学によっては外国人教員が増えすぎたため言葉や文化の問題から事務が円滑に進まなかったり、授業の質が下がった、という例を聞く。それでも外国人教員を高い報酬で採用し続けるのは、ひとえに研究水準を上げるためである。
ここでまず強調したいのは、研究水準を上げるには優秀な研究者を集めなくてはならず、それには「カネがかかる」という当たり前の事実だ。北米の大学ではより以前からカネによる引き抜きは一般的だったようだが、ヨーロッパでも、英国の大学を筆頭に近年そうした流れに傾いている。
ではそのカネはどこから来るのだろう?先に述べた政府からの研究補助金の傾斜配分は収入源の一つではあるが、ひとたび国を跨いだ研究者獲得競争に参加すると、それだけでは足りない。また、90年代以降、大学経営の独立性が高まったと同時に、採算性を厳しく求められるようになった。そこで重要になるのが留学生からの授業料収入だ。
英国の高等教育システムの下では、英国籍を含めたEU国籍を持つ学部学生の教育には政府補助金が出る代わりに、彼らから徴収できる学費に上限が定められており、また定員は政府により決められている。その一方、EU外からの学部学生に関しては学費の上限も定員規定も無い。修士課程でもEU外からの留学生にはより高額な学費を課すことができる。
その結果、今や英国のどの大学にとっても、中国やロシアからの留学生は貴重な収入源になっている。例えば、経営・金融系の修士課程には中国からの留学生が半数、あるいはそれ以上を占めるものさえ珍しくない。とはいえ彼らを獲得するための大学同士の競争も年々厳しくなっており、多くの大学が中国主要都市に駐在員を置き、広報活動を積極的に行なっている。
さて、本稿でもう一つ強調したいのは、英国の大学に留学生が増えたのは、大学を「グローバル化」するためではなく、留学生の受け入れがカネになるからだ、という点である。そして、なぜカネが必要になったかと言えば、先に述べたように優秀な研究者を引き寄せるためなのだ。
英国の大学では、この15年ほどで教員・学生とも著しく多国籍化し、研究水準は他のヨーロッパ各国に比べて向上した。と同時に、研究者(=人材)そして留学生(=顧客)の獲得競争が厳しくなり、「カネの流れ」の重要性が大きく増した。このことは、企業はもちろん教育機関にとっても「グローバル化するというとことは、国際的な人材・顧客マーケットに身を投じることでもある」ことを教えてくれる。
英国の大学が直面する多国籍化の退っ引きならない現実は、日本の大学改革論議における「グローバル化」の掛け声とは、趣がかなり異なっているのではないだろうか。